23年5月21日(土) ペンテック 田中茂
石巻市叔牡鹿町 牡鹿公民館で、ボランティア活動
石巻市牡鹿町小渕浜大宝の阿部さんのお家に泊めていただきました。
阿部さん夫妻と、NYから来たヒロとカンナと、一緒に5人で川の字になって寝ました。
ありがたかったです。
でも、ふと思ったのは、避難所というのは、こんな感じでプライベートが無いという言葉の意味がわかりました。パンツを変えたいときや、鼻くそをほじりたいとき、おならをしたい時、昼寝をしたい時、ずーッと気を使って生活をしているんだろうな。
お風呂も毎日入れないし、頭はかゆくなるし、きっと体臭も気にするだろうね。女性ならきっとすごく気になると思うな。
朝ごはんを、よばれました。1週間ぶりに食べた味噌汁に感激しました。
仲良く、座って歯を磨く、NYから来たヒロと、カンナ。
牡鹿町小渕浜大宝は、行政の指導で建築保留地帯のようだが、プレハブを建て生活する阿部さんの家には、朝 漁師仲間がやってくる。
「震災がら、夜は早ぐ寝で、朝は4ずに起ぎるぐせんだっちゃ〜。」
そこから、歩いて10分の高台の車屋さんで、ラジオ体操をしました。地域のコミュ二ケーションを強く感じました。そこで、被災者の方からニーズを集めました。
@自宅の裏山の土砂をどける手伝いをしてほしい。
A地域で、夏用のタオルケットの掛け布団が20枚ほしい。
B夏用の服や、Tシャツが20枚ほしい。(男女・子供別で)
C布団のシーツが欲しい。(水が出ないので洗濯が出来ないから。)
D整体師を派遣して欲しい。(日中の作業と、ベットで寝ていないので、腰・肩が痛い)
他にも、たくさんのニーズを聞くことが出来ました。
東北の方は、じっと耐えてしまう、奥ゆかしい。という感じを受けました。
もっと、声を出してボランティアセンターに電話をしてくればいいのに!と、思っていましたがまずこちらから歩み寄って行かないと行けないのかなあ。
ボランティアの拠点として、取り壊す予定の牡鹿公民館を使わせていただいている。資材は遠藤さんが実費でベニア板を持ち込んで活動資金も出したいる。途中、僕もビバホームでペンキや材木を買って持ち込んだ。そういった必要な物資は、なかなか現場には届かないのが現実だ。大工が出来る者が、明日すぐに材木が欲しい。でも、現実はいろいろなルートを使っても入りににくいのが現実だ。もし、10日後に材木が入ってきても、それを使いこなす人間がいなくなる。
義援金が、日本中・世界中から集まってきているのに、被災者に1万円すら届いていないのが現実だ。出来ることなら、避難場所に住む方に、5000円ずつ渡してあげれると、本当に喜ばれるでしょうね。タバコやビール、ガソリンは配給されませんから。
先日お昼ご飯を食べさせていただいた、民宿めぐろの社長さんの所では、20人の人が大広間で生活されていたが、お昼はカップラーメンだといっていた。2ヶ月間毎日カップラーメンは辛いだろうな。みんな僕と、笑顔で接してくれたが、あまり文句や愚痴を言わないのが心配だ。
間仕切りの壁を作ることになりました。
間仕切壁を作って、部屋にして、中をブティックのように衣類をハンガーに吊るして並べた。
支援物資の服がダンボールの箱の中に入ったままだと選びにくいという、遠藤さんの発案だ。
扉を付けて、阿部さんのお家を塗ったペンキの残りを塗りました。きっと牡鹿半島で最初にペンキを塗ったペンキ屋さんだと思うよ。(笑)
壁に落書きをしました。
「距離じゃないね、行こうという気持ちの強さだね。
あなたの勇気に ありがとう。」
と書きたかったのに、指摘されました。
「距離じゃなくて路離になってるよ。」って
左からみくちゃん・ 仲さん・そして僕です。
被災したママちゃん(成田さん)もボランティアとして活動されています。事務仕事をしてくれています。お昼ごはんにと、味おにぎりと、いなり寿司を15人分ぐらい作って持ってきてくれました。
潜水のお店をしていて、お店が被災してしまったそうです。
「会チョー、もしもペンキが余っているなら、うちの看板を書いてくれない?」
「OK!ママちゃん。僕の字でいいの?」
「うん、いいよ。かわいく書いてよー。会チョー」ハハハ。
デーモンコグレさんが、相撲の解説と、歌を歌って被災者とボランティアを勇気づけてくれました。応援メッセージを書いてくださいと、頼むと快く引き受けてくれました。
「閣下、いくつですか?」と聞くと。
「我輩は、10万と48歳だ!」と答えてくれると、会場から「ワー。」と、歓声があがりました。