岐阜 塗装 ペンテック

第6回目 災害ボランティア活動 岐阜塗装のペンテック

23年9月19日〜9月25日 岐阜県羽島市の塗装店 ペンテック

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 夜中に車を走らせました。東海北陸道を日本海に抜け、新潟を経由して磐越道を通り福島県に出ます。そして東北道で石巻のほうまでいきます。850キロメートル 15時間の走行です。

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牡鹿ボランティアでミーテリングを行っています。

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 ポリタンクに水を汲み、ボランティアの活動拠点で使います。

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台風接近に伴い、山の水が溢れ出していました。

 

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 夜、山からの水が増え、駐車場は海のように泥水が激しく流れこんできました。

もう少しで、車が流されるところでした。

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車を移動したら、パンクしてしまいました。

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山の土砂崩れで、道路は寸断。市内へ通じる道はすべてなくなりました。

土砂をスコップでどけていた時、腰が壊れました。ぎっくり腰になってしまいました。

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 作業ができず、志津川方面、陸前高田、気仙沼、大船渡を見に行きました。

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 ご飯と、カンズメの朝食です。

ありがたいです。

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 こども映画館の壁をペンキで白く塗っています。

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 ペンキを、30キロ離れた市内のホームセンターで買いました。

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 子供達が、思い思いの絵を描きました。

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船の絵・虹の絵・鮎川の文字・家の絵・ふうせんの絵・太陽の絵を描いていました。

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第5回目 石巻市へボランティア ペンテック 田中

23年8月7日(日)〜8月13日(土)

宮城県石巻市牡鹿町(牡鹿半島)へボランティアへいきました。

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8月7日夜9:00に家を出ました。小学校の娘と一緒に行きました。

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8月8日 夕方5:00に石巻市牡鹿町小渕浜の阿部さんとホット丸に行きました。

その夜は、阿部さんのおうちに泊めていただきました。

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8月9日(火)石巻市牡鹿町の谷川浜でカキ殻の仕分け作業をしました。

炎天下の中、かなり過酷な作業でした。

 

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8月10日

石巻市内の塗装店の中島産業さんに洗浄機の機械新品を義援物資としてお渡ししました。

阿部さんの会社は、津波で被災して機械が全滅していました。日本塗り替え研究会を代表してお渡しして来ました。

現在、同会の会長を勤めさせていただいています。

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8月11日

解体予定のおうちの瓦礫出しをしました。2階の寝室のベットのマットレスを持ち上げるとタイヤが隠れていました。

すさまじい、家出した。

 

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8月12日

公民館の被災した壁に絵を描きたいと、子供達が言ったので、

その壁に新聞紙をのりで貼りました。

お絵かきは、来月の予定です。

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8月13日(土)

公民館のこども映画館の床を長谷虎カーペットさん(羽島市の会社)に頂いた、タイルカーペットを張りました。

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8月14日(日)

家に帰って着ました。

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7月20日 帰り道 羽島市の塗装店 有限会社ペンテック

7月20日 帰り道 羽島市の塗装店

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朝8:00 出発の日です。

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先日描いた、金華山の絵です。公民館に貼ってあります

 

牡鹿半島はまだまだボランティアがたりません。

ボランティアに来てくれる方はお問い合わせください

牡鹿ボランティアお問い合わせ

080−4362−5700

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市内まで1時間30分走り、日和山公園から石巻市内を見ました

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ここから、8時間はかかるので帰宅は、夜の10:00以降でしょう

片道13時間が、4回目となると長く感じなくなりました。

 

ボランティアさせて頂きありがとう

僕は又来るよ。

 

ペンテック 代表 田中茂   塗装のペンテック トップページ

7月19日 泥・瓦礫出し 羽島市の塗装店 有限会社ペンテック

7月19日 泥・瓦礫出し 羽島市の塗装店

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泊めていただいた、漁師の阿部さん、朝5:00、海を見つめていました。

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水没した、岸壁に係留された船が、港に賑わいを与えてくれます。

助かった船です。

阿部さんも、2隻の船を逃がすことが出来ました。

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谷川浜地区の泥だし・瓦礫出しをしました。

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谷川地域は、50軒のお家のうち49軒が全壊でした。

このお家は、海抜25メートルの山の中にありました。

唯一残った家は、海抜30メートルの山の中の、お家だけでした。

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このお家も、解体するそうです。

位牌は出てきませんでした。

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牡鹿ボランティア代表の遠藤さんが、ボール盤と、切削砥石の機械が欲しいと要望を受け、石巻市内のビバホームで購入して、プレゼントしました。鯨の歯や、鹿の角で、民芸品を作って、販売しよう!という企画を地元の人に提案しているそうです。

早速、鯨の歯で鯨の形のペンダントを作りました。

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7月18日 カーテン取り付け 岐阜県の塗装店 有限会社ペンテック

7月18日 カーテン取り付け 岐阜県の塗装店

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子ども映画館にするための部屋のカーペットはひいたが、窓からの明かりがキツスゴルのでカーテンをビバホームに買いに行きました。

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取り付け中、

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取り付け 完了 暗きうなりました。

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阿部さんのお家にご飯を呼ばれに行きました

阿部さんのお家には、お風呂がありません。

お風呂を呼ばれに仮設住宅に住んでいる親戚の家に行きました

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仮設について

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電荷製品には日本赤十字のシールがありました

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7月17日 かきの選別 岐阜羽島の塗装店 有限会社ペンテック

7月17日 かきの選別 岐阜羽島の塗装店

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かきの殻の選別作業のボランティアです。

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すごく大量にあります。きっと10トンダンプに10〜20杯くらい

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良いからと、ごみに分けていきます炎天下の中暑かったです。

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東京から来ていた、27歳の日帰りボランティアさんたちです。

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差し入れにアイスクリームをプレゼントしました。

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7月16日 引越し 岐阜県羽島市の塗装店 一宮 大垣 有限会社ペンテック

7月16日 引越し 岐阜県羽島市の塗装店

 朝、4時30分に金華山の島の上から朝日が昇りました。

震災の日に、島と牡鹿半島は、陸続きになったそうです。

海水が引き潮で無くなり、海底が見えたそうです。

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今日は、引越し・避難所の片付けをお手伝いしました。

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観光ボランティアさん達が30人ほどみえ、一緒に避難所の体育館の片付けをしました。

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仮設住宅への引越しも手伝いました。

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岐阜県羽島市の川柳さんから貰った、せと物をプレゼント

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最後に、記念撮影

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鮎川港のトイレ

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朝見た場所から今度は、夕方7:00に夕日を見に行きました。

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7月15日 映画館上映 羽島市の塗装店 大垣 一宮 有限会社ペンテック

7月15日 映画館上映 羽島市の塗装店

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映画上映会のチラシを小学校に配りに行きました。

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公民館の資材置き場を子ども映画館に改装するために

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羽島市のカーペット製造会社、ハセトラさんにカーペット5箱貰いました。

みんなで、並べて行きます。

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あと、3箱足りませんでした。今度来た時にまた貰ってきます。

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発電機で電気を作ります。

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持っていったカプリコをプレゼントしました。

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7月14日 石巻市へ出発 羽島市の塗装店 一宮 大垣 有限会社ペンテック

7月14日 石巻市へ出発 羽島市の塗装店

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朝4:00まだ薄暗い中をトラックを走らせました。

今回連れて行った職人は、河合です。

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新潟から福島県へ抜けて行きます。

岐阜から、距離にして850km。

13時間かかりますが、4回目のボランティア活動なので遠いという感覚がなくなりました。

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福島県の会津 磐梯山です。きれいです。

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宮城県牡鹿半島の鮎川浜 牡鹿公民館に到着すると安さんが、ひまわりにお水をまいていました。

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ボランティアの仲間にそうめんを作って、炊き出しをしました。

みなさん、うまいうまい。

実は、家ではほとんど料理をしません。(反省)

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災害ボランティア 最終日 岐阜県羽島市の塗装店

23年6月25日(土) 岐阜県羽島市の塗装店 田中茂

ここでは、通称で会チョー!とよばれています。

理由は、現在中央小学校のPTA会長だからです。(本当ですよ。)

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現在、ボランティアは公民館の2階で寝泊りをしています。もしも、ここ石巻市牡鹿町で災害ボランティア活動をやりたい方は、寝袋・食料・長靴・雨カッパ・懐中電気・飲み物を持って来てください。現在、在中しているボランティアの数は、7〜8人です。このままボランティアブームが終わって、忘れられていくのではないかと、本当に心配しています。

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活動内容は、整体指圧チーム・家の中の瓦礫の撤去・ボランティアバスツアーのお世話・事務仕事・家のなかのへドロ出し・物資の避難所への配送・遺留品の掃除・無料のフリーマーケット係・保育所のお手伝い・美容師の散髪・避難所でのお世話・復興市場の段取り・炊き出し・イベント・他にもいろいろな活動があります。

コンサートをやりたい!

小学校で手品を見せたい!どんなことでもOKだと思います。

石巻市内から車で半島まで1時間かかる陸の孤島です。

大原小学校は1年生が7人いたけど、現在は3人だそうです。

牡鹿ボランティアレフト

住所:宮城県石巻市鮎川 牡鹿公民館

TEL:080−4362−5700

ボランティア希望者・活動支援金お待ちしています。

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5月に来たときに、書いた約束守りました。

7月に又、来ます。

たくさんの、皆様に私の活動を応援していただき、ありがとうございました。

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牡鹿町鮎川の牡鹿公民館は、2階の床上50センチの被災をしています。

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帰りの道です。焼け野が原。

そんな、表現をすればこの状況があなたに伝わるでしょうか?

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4月に、ドロダシをした、タバコ屋のお母さんが、東松島市に避難していて、

「田中さんに会ってお礼がしたい。」と、言っていただきました。

1時間ほど、話を聞かせて頂きました。

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岐阜までは、13時間かかります。距離にして850キロメートルです。

家に帰るのは、きっと深夜になるでしょう。

被災地では、テレビでは流れないお話をたくさん聞きました。

「遺体を掻き分けながら、肩まで水につかりながら、高いほうに逃げた。」

「道路わきの遺体を、マネキンが転がっていると思って家に帰った。」

「つかんでいた、手を津波がさらっていった。」

「施設のお年寄りを連れていけなかった。」

皆さん、深く心にキズを負って生きてみえます。

僕が、なぜ一ヶ月に1度、ボランティアに来るのか?

3月11日、東京で被災しました。

今生きていることは、きっと誰かが、

「もう少し生きろ!」

と、言ってくれているのだと思います。

2年前に、ペースメーカーの植え込み手術をして、

「茂、もう少し、人のために生きろ!」

そう言われている気がするからです。

ボランティアさせて頂き、ありがとう。

 僕は、又来るよ!

田中茂

 

牡鹿復興市場 岐阜県羽島市の塗装店より

23年6月24日(金) 岐阜県羽島市の塗装店

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昨夜泊めて頂いた、阿部さんのお家の前の瓦礫の撤去がされました。

牡鹿モータスにて、6時半からラジオ体操をしました。

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歩いて、港に行きました。

岸壁は、破壊され、めくれたアスファルトがじゅうたんの様に敷かれていました。

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流された、漁具・電信柱・人形・・・

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映画館で食べる、ポップコーン・お菓子・ジュースを2万円分ほど買い込みました。

お金は、僕の活動を応援してくれる、岐阜県羽島市の方から頂いた、活動資金から出しました。 

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牡鹿町の復興を作るために、復興市場構想があり、そのための看板の製作をしました。自立で建つように頑丈なものをつくり、ペンキを塗って仕上げて行きました。

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看板の文字を書いていると、今日やる、映画の上映会の手伝いに来ていた子が真剣に見ていました。

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いすに座って、休憩していると、被災しながらもボランティアで遺留品の整理作業をしていたきれいなお母さんが、

「ハイ!」

といって、凍ったお水をくれました。ありがとうございました。

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1ヶ月前に植えたミニひまわりが、咲いているよ!

と、教えてくれました。

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左、映画館の手伝いをしてくれた、きれいなお母さんで、上映会のときは浴衣を着てくれましたv。中は田中(通称は会ちょ〜)。右はみくチャンで、ずーっと公民館で活動してくれているボランティアの女性です。みんな、無料で働いています。

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手に持っていたチラシ。僕の手書きです。

字が読みにくくてすいません。

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子供たちが、チケット屋さん、ポップコーン・ドリンクバーをずーとやってくれました。

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みんな、楽しそうに見ていました。

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東京から、トシボウが、浴衣を70枚持って、来てくれ、お母さんが着付けてくれました。

会チョー映画館企画 羽島市の塗装店ペンテック

23年6月23日(木) 岐阜県羽島市の塗装店ペンテック

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宮城県女川町の帰り道、コバルトラインという、牡鹿半島を縦断する2本の道のうちの一本が前面通行止めになっていました。

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宮城県石巻市牡鹿公民館に戻る途中に、先日ねぎを一緒にとらせていただいた方のお酒屋さんの前を通りました。トラックの荷台には上には、ビバホームで買った材木が乗っています。これで、棚を作ります。

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柱が破壊されて、建っているのが奇跡です。

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公民館に、鮎川小学校の子供たちが手伝いに来てくれました。入場チケットを作るといって、張り切ってやってくれました。

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6時30分に作業を終え、夕飯の準備をしようかな・・・。アーツかれた。

漁師の阿部さんに電話しました。

「遠慮はいらねーんだよ。」

夕飯をよばれに行きました。

すると、プレハブが1つ増えていました。

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すぐそばの、お家に貰い湯していた阿部さんの息子さんが、迎えに来てくれ、僕と樋口も、貰い湯のおすそ分けを頂ました。ねちねちした体が、

「スカー」としました。

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リビングでお話を聞きました。

かなり、山の上のほうなのに、床に10センチほど水が入り、泥を出したといっていました。外壁には、1メートルぐらいのところまで水が来たラインが残っていたそうです。

石巻市内から歩いて牡鹿半島まで帰って来た人たちは、道路の瓦礫に横たわる遺体を「マネキンだ。マネキンだ。」といいながら家に9時間かけて帰ってきたそうです。

船で、沖に逃げていた漁師は、帰ってきた時、港が無く、家も無く。

狐につままれたみてーだ。と言っていたそうです。

小学校3年生は、7人いたクラスメイトが、避難所や親戚の家に非難して、3人になったそうです。

子供たちの元気な顔を作ってあげたい。

それを、親が見れば、親も元気になる。

かな?

明日の、映画館、

たくさんの子供たちの喜びの場になりますように。

 

め組ジャパン活動拠点にて棚つくり 岐阜羽島 塗装店のペンテック

23年6月22日(水) 岐阜羽島 塗装店のペンテック

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今回、持って行った、パソコンとプロジェクター・スピーカーです。

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映画上映会企画を話し合いました。

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チラシの字がちょっと、汚くて読みにくいのがたまにキズですが、内容はすごくいいです。子供が楽しそうに、笑ってアニメを見て、それを大人が眺めてみている・・みたいな雰囲気が出るといいな〜。

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牡鹿公民館で朝のミーティングを終え、今日は宮城県登米市豊里に行きました。

をしています。

今日は、災害ボランティアの「め組ジャパン」活動拠点にて棚つくりをしました。 

途中、ビバホームにてマルノコ・コンパネベニア板・角材を購入しました。

そのお金は、僕の活動を支援してくれる方から頂いた、僕への支援金から出しました。多くの方に支援していただきありがとうございました。

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台になる部分を6個作ります。

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柱になる部分12本に、溝を彫っていきます。

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がっちりと、組み立てて、ペンキを塗りました。塗らなくても棚として機能するんですが、緑色を塗りました。

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もうひとつの方は、濃いピンクで塗りました。

いつもは、住宅の塗り替えをする時に、お客さんのお家に合う色。落ち着いた色。を一緒に提案しながら、配色を決めていきますが、今回の塗装で感じたことは、

「塗装って、いいなー。」

なんか、贅沢な気分になりました。

毎日、被災したお家の泥だしをしたり、ひまわりを植えたり活動している、め組ジャパンのメンバーが、

「すげー。」

「ペンキまで塗ってある。贅沢〜」

「大工さんみたい。」

やっぱ、ボランティアさんも疲れるんだよね。

なんかうれしそうな顔を見ていたら、うれしくなりました。

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ねぎの収穫ボランティア 羽島市の塗装店ペンテック

23年6月21日(火) 岐阜県羽島市の塗装店 田中茂

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民宿めぐろさんで泊めていただきました。朝3時に目が覚め、4時から港町を歩きました。

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車が、痛々しい状態で置かれていました。

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やっぱり、漁師さんは早起きですね。港の瓦礫作業のために集まってきていました。漁具(浮き・仕掛け)や、ロープを瓦礫の中から引っ張り出していました。左の茶色の服を着た漁師さんが鯨の文鎮を

「お土産だー」と、言ってくれました。

牡鹿町は、鯨の港。

ホエールランドもあるところです。

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今日は、宮城県栗原市桃生町のねぎ畑にボランティアに向かいました。

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ビニールハウスのねぎ畑には、4000 羽のねぎがあり、抜いて土嚢袋に詰めました。大きくなりすぎ、出荷できなくなった ねぎだそうで、これを牡鹿町の避難所に配ります。

帰り道に、朝鯨の文鎮をくれた漁師さんとばったり会い、ねぎを一束(土嚢袋一杯)渡しました。

びっくりしていました。

石巻市牡鹿半島 民宿めぐろにて  羽島市の塗装店

23年6月20日(月)  岐阜県羽島市の塗装店ペンテック

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群馬県前橋市の塗装店ミヤケンさんによりました。

宮嶋社長さんより、義援物資として、ビールを5ケースとチュウハイを1ケース頂きました。

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 13時間かけて850キロを走り、宮城県牡鹿半島を走行中に2匹の小鹿を見かけました。牡鹿半島と、言うだけあって鹿がいました。

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 前回5月に、避難所の看板を製作した、民宿めぐろさんに挨拶をして、お土産をお渡ししました。ミヤケンさんから頂いた、ビールを1ケースも。すると、「ご飯をたべてけ〜。」「ビールを飲んでけ〜。」「風呂はいってけ〜。」「とまってけ〜。」

お言葉に甘えました。

早速、もっていった、プロジェクターと、パソコン、スピーカーをつないで、被災して民宿めぐろさんで、生活をしている方に、映画を見てもらいました。

寅さん。

「あっ、イカの一夜干しだ〜。」と、漁港町ならではの懐かしいため息がもれました。

すると、主人の目黒さんが、

「今度、漁船を貰うから、船来たら、いっペーとってきてやっからー」

と、お母さんたちに声をかける一幕がありました。

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6月19日 宮城県に3回目のボランティア出発 羽島市ペンテック

23年6月19日     羽島市 塗装店 ペンテック 田中茂

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 宮城県石巻市牡鹿町(牡鹿半島は、陸の孤島)に向かい出発しました。今回は、ペンテックの職人 樋口和也を連れて行きました。なるべく多くの若者に経験をさせたいので、前回とは違う職人です。今回は、映画の上映会をして、被災者の方に、ほっとした時間を楽しんでもらいたいです。プロジェクター・スクリーン・パソコン・映画・アニメのDVD・そして新たにスピーカーを買って持って行きます。

 そして、ビール・ チュウハイを7ケース。を持っていきます。

被災者の方と、ボランティアのコミュニケーションの場を作りたいと思います。ビアガーデンを1日だけ企画したいと思います。

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 近所の方が、新品のタオル200枚。軍資金3000円を2名の方。10万円を1名の方がくれました。

ありがたいです。その気持ちだけで、石巻市まで15時間ぶっ飛んでいけます。

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新しい義援金の考え方。 直接届く! ペンテック

23年5月27日(土)  岐阜塗装のペンテック

 新聞社・赤十字・他いろいろなところで、義援金を集めていますよね。

私も10万円、会社から30万円の義援金を赤十字に送りました。

しかし、現地で感じたことは、被災者の方は、義援金として1万円だってもらっていませんでした。

石巻市牡鹿半島の二次避難所の民宿めぐろでは、お昼ごはんは毎日カップラーメンだそうです。

これが、現実です。

もし、義援金を送ることはいいことです。

でも、出来れば、直接喜ばれる方法がいいですよね。

小さな活動ですが、あるんです。

ネット上で、買って、避難所に、物を送ってあげる支援の方法が。

  ふんばろう東日本プロジェクト

     http://fumbaro.org/

避難所が欲しい、ニーズ。  ( シーツ。冷蔵庫。赤ちゃんのお尻拭き。)

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岐阜県羽島市へ帰ろう 田中茂

23年5月22日(日) 岐阜羽島の塗装店

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牡鹿町公民館(鮎川)2階で寝泊りしています。

この公民館では、かなりの人が亡くなっています。現在も遺体安置所になっています。1階の壊れた窓をブルーシートでふさぐ工事をしたところは、車が室内何台か入ってきたところです。すぐ隣に建っている牡鹿町総合支社(市役所)に逃げた人は助かっています。

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その総合支社に、飾ってあったのは、津波の前の町の様子です。

トイレは、階段を上がった、そこまで行かなければなりません。公民館には仮設トイレ・電気・水が来ていないので、水はそこに汲みに行きます。石巻市内と違い、牡鹿半島はまだまだ、手付かずの感じが強い地域です。まさに陸の孤島です。

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帰るとき、仲間が見送ってくれました。看板は僕が書きました。ここでも、間違えています。

ボランティアセンターではなく、ボランティアレフトでした。笑

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ペンテックの職人、ケイジと記念写真

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遠藤さんが、高速道路が無料で通れる証明書を作成してくれました。行きに岐阜県庁で聞いたが難しいと言われた、証明書です。

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娘のかりんが、「お父さん持って行って」と、自分のお小遣いで買ったハイチューです。」

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夜、8時30分、ひるがの高原サービスエリアで、休憩中です。羽島に到着したのは夜10時で、13時間30分かかりました。8日間の走行距離は1900kmでした。

明かりが、光光とつき、食べ物があふれているのが、不思議な気がしました。

僕は、少しは、元気を届けることができたのだろうか?

それ以上に、たくさんのことを学ばせていただきました。

石巻市内では、「すんでまった。」(死んでしまった。)と、言う声を被災者の方から、たくさん聞きました。しかし、ここ牡鹿半島では、「流されてまった。」と、言う言葉を皆さんが使われていました。きっと、人が流されていくところを多くの人が自分の目で見たからだと思います。

デーモンコグレ閣下が来所 ペンテック 岐阜塗装店

23年5月21日(土) ペンテック 田中茂

石巻市叔牡鹿町 牡鹿公民館で、ボランティア活動

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石巻市牡鹿町小渕浜大宝の阿部さんのお家に泊めていただきました。

阿部さん夫妻と、NYから来たヒロとカンナと、一緒に5人で川の字になって寝ました。

ありがたかったです。

でも、ふと思ったのは、避難所というのは、こんな感じでプライベートが無いという言葉の意味がわかりました。パンツを変えたいときや、鼻くそをほじりたいとき、おならをしたい時、昼寝をしたい時、ずーッと気を使って生活をしているんだろうな。

お風呂も毎日入れないし、頭はかゆくなるし、きっと体臭も気にするだろうね。女性ならきっとすごく気になると思うな。

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 朝ごはんを、よばれました。1週間ぶりに食べた味噌汁に感激しました。

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仲良く、座って歯を磨く、NYから来たヒロと、カンナ。

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牡鹿町小渕浜大宝は、行政の指導で建築保留地帯のようだが、プレハブを建て生活する阿部さんの家には、朝 漁師仲間がやってくる。

「震災がら、夜は早ぐ寝で、朝は4ずに起ぎるぐせんだっちゃ〜。」

そこから、歩いて10分の高台の車屋さんで、ラジオ体操をしました。地域のコミュ二ケーションを強く感じました。そこで、被災者の方からニーズを集めました。

@自宅の裏山の土砂をどける手伝いをしてほしい。

A地域で、夏用のタオルケットの掛け布団が20枚ほしい。

B夏用の服や、Tシャツが20枚ほしい。(男女・子供別で)

C布団のシーツが欲しい。(水が出ないので洗濯が出来ないから。)

D整体師を派遣して欲しい。(日中の作業と、ベットで寝ていないので、腰・肩が痛い)

他にも、たくさんのニーズを聞くことが出来ました。

東北の方は、じっと耐えてしまう、奥ゆかしい。という感じを受けました。

もっと、声を出してボランティアセンターに電話をしてくればいいのに!と、思っていましたがまずこちらから歩み寄って行かないと行けないのかなあ。

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ボランティアの拠点として、取り壊す予定の牡鹿公民館を使わせていただいている。資材は遠藤さんが実費でベニア板を持ち込んで活動資金も出したいる。途中、僕もビバホームでペンキや材木を買って持ち込んだ。そういった必要な物資は、なかなか現場には届かないのが現実だ。大工が出来る者が、明日すぐに材木が欲しい。でも、現実はいろいろなルートを使っても入りににくいのが現実だ。もし、10日後に材木が入ってきても、それを使いこなす人間がいなくなる。

 義援金が、日本中・世界中から集まってきているのに、被災者に1万円すら届いていないのが現実だ。出来ることなら、避難場所に住む方に、5000円ずつ渡してあげれると、本当に喜ばれるでしょうね。タバコやビール、ガソリンは配給されませんから。

 先日お昼ご飯を食べさせていただいた、民宿めぐろの社長さんの所では、20人の人が大広間で生活されていたが、お昼はカップラーメンだといっていた。2ヶ月間毎日カップラーメンは辛いだろうな。みんな僕と、笑顔で接してくれたが、あまり文句や愚痴を言わないのが心配だ。

 

間仕切りの壁を作ることになりました。

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間仕切壁を作って、部屋にして、中をブティックのように衣類をハンガーに吊るして並べた。

支援物資の服がダンボールの箱の中に入ったままだと選びにくいという、遠藤さんの発案だ。

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扉を付けて、阿部さんのお家を塗ったペンキの残りを塗りました。きっと牡鹿半島で最初にペンキを塗ったペンキ屋さんだと思うよ。(笑)

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壁に落書きをしました。

「距離じゃないね、行こうという気持ちの強さだね。

あなたの勇気に ありがとう。」

と書きたかったのに、指摘されました。

「距離じゃなくて路離になってるよ。」って

左からみくちゃん・ 仲さん・そして僕です。

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被災したママちゃん(成田さん)もボランティアとして活動されています。事務仕事をしてくれています。お昼ごはんにと、味おにぎりと、いなり寿司を15人分ぐらい作って持ってきてくれました。  

潜水のお店をしていて、お店が被災してしまったそうです。

「会チョー、もしもペンキが余っているなら、うちの看板を書いてくれない?」

「OK!ママちゃん。僕の字でいいの?」

「うん、いいよ。かわいく書いてよー。会チョー」ハハハ。

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デーモンコグレさんが、相撲の解説と、歌を歌って被災者とボランティアを勇気づけてくれました。応援メッセージを書いてくださいと、頼むと快く引き受けてくれました。

「閣下、いくつですか?」と聞くと。

「我輩は、10万と48歳だ!」と答えてくれると、会場から「ワー。」と、歓声があがりました。

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民宿めぐろ 石巻市 牡鹿半島 二次避難所看板つくり

23年5月20日(金) 岐阜の塗装店より

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石巻市牡鹿町の二次避難所になっている民宿めぐろさんのところに、昨晩作った「二次避難所」の看板を道路に取り付けにいきました。しかし、倒れ掛かった柱を見ててしまったので、先に柱の補強工事をしました。お守りに、僕のステッカーを貼っておきました。「柱よ。たおれるでね〜ぞ。」って書いておきました。

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非難している人に混じってお昼ごはんさ、よばれますた。

うめがったー。

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この、おにしめがうめーのって、おにしめは、鬼絞めでねーやんだよ、御煮しめだっちゃ〜。

どう?仙台弁うめぐなったろ〜。

何いってっかわかるか〜。わっかんねんだろな〜。ハハハ笑

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看板案内を道路に作りました。

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目黒さんと、お話をさせていただきました。

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港には、かもめかな?

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小渕浜のお家の壁にペンキを塗ることを頼まれました。

ベニア板に、クリーム色のペンキを塗りました。

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初めて立てられたお家じゃないのでしょうか?

コンパネ板にペンキなんて塗るの?と、思うかもしれませんが。

きれいにしたい。という気持ち、僕はそこに、塗装の原点があると感じました。

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 お父さんも、お母さんも、近所の人も喜んでくれました。

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結局、一緒に行ったボランティアのカンナとひろあきも一緒に阿部さんのお家でご馳走になることになりました。ビールをよばれ、3人泊めていただきました。

カンナとヒロは、ニューヨークからボランティアに駆けつけてくれました。

距離じゃないね、気持ちだね。

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お父さん・お母さんとたくさんお話をしました。

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ミンキー又来るよ。 ペンテック 田中茂

23年5月19日(木) 塗装店のペンテック

大きな窓ふさぎ工事の続きをしています。今日は1人です。ケイジは、お家の解体や、土砂崩れの撤去に借り出されました。

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牡鹿公民館に常駐してボランティアのお世話をしていてくれる、遠藤さんが作業を見ながら終始、「おー。おー。」と、感動していました。(左遠藤さん)

雨漏りしないように、コーキングで防水して、一時完成です。

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昨日、ご飯を食べさせてくれた、小渕浜のお父さんから携帯に」電話をいただき、

「プレハブの外壁にペンキを塗って欲しい。」と、言われ。

テンション急上昇。すぐに、ビバホームに向かいました。といっても、ここは陸の孤島で、車で山道を1時間10分走らせました。牡鹿半島というだけあって、鹿がたくさんすんでいるそうですね。

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途中、民宿めぐろによりました。ニーズで看板作成の以来を受けていたので。

ここは、2次避難所になっています。20人ぐらいの人が避難していました。民宿めぐろは、高台にあり、倒壊を逃れていましたが、その下は、全壊でした。電信棒もありません。

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社長の目黒さんに焼いていたお魚をいただきました。アジだったかな?

おこげご飯で作った大きなおにぎりもいただきました。「うめがったー」笑

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「田中さん、風呂さはいってねんだべー、入ってちゃー」

「いいんですか〜。ありがとうございます。」感激!

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お礼に、手持ちのブルーシートを3枚プレゼントしたら喜んでくれました。

牡鹿公民館に戻り、時間があったので作った壁に落書きをしました。

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ブルーシート隊結成しました。  岐阜の塗装店より

23年5月18日(水)  岐阜の塗装店より牡鹿町へ

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今日から、僕たちブルーシート隊は、専修大学のキャンパスを後に、牡鹿半島にある、石巻市牡鹿公民館にベースキャンプを移動します。朝のミーティングで、懐かしいメンバーに会いました。札幌から来ていた整体学校の校長先生です。「コーチョー先生、又来たんだねー」

「会チョーも!」(僕は中央小学校でPTA会長しているので会チョーと呼ばれています。」

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湊小学校西のお家で床下の泥だしをしていた「ホッシー」に、ぷっちょで激励しました。

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ビバホームに行き、出発日に、いただいた義援金で、材木や工具など5万円分買いました。

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横6m×縦4mの窓をふさぐ工事に入りました。ブルーシート隊出動です。

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何とか、 下地造りまで出来ました。

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明日の、石巻を元気にするぞ!

がんばっぺ、石巻!

ペンテック 田中茂

石巻市牡鹿町でブルーシート張り ペンテック 

23年5月17日(火) ペンテック (塗装店)

石巻市牡鹿町でブルーシート張り

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牡鹿町は石巻市から車で1時間10分の半島の先端部分です。

半壊のお家が少なく、全壊か無事かといったお家が多いです。

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公民館の窓は割れたままでした。

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早速、窓のふたをするのですが、木造と違い、ビスが外壁に固定できないので材木とコンパネのベニア板で補強してからの作業になりました。

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持っていった、材木が少し役に立ちました。

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とりあえず、3つの窓をふさぐことが出来ました。

他のボランティアさんが、手際のよさに。

「すげー、すげー。」と、

そして、頑丈さに感動して、

「オー、そんな方法があったのかー!」と、

ちょっと、鼻が高くなりました。

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他の避難所を回っていて、一軒の石巻市小渕浜大宝の漁師のお父さんと知り合いました。がんばって生活されていました。もっていった、ブルーシート3枚と、紐をプレゼントしました。仲良くなりご飯をいただきました。たらの芽がおいしかったです。

 

 

 

石巻市新館でブルーシート張り

23年5月16日(月) ペンテック 田中茂

石巻市新館でブルーシート張りをしました。

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先月泥だしをさせていただいた、お母さんのおうちです。

お土産に、木彫りのふくろうの置物をプレゼントしました。

めちゃくちゃ、喜んでくれ、お礼に、ジュースや、カロリーメート、オレンジをたくさんもらいました。

そして、今回はどろのなかから出てきたインスタントコーヒーをいただきました。

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ブルーシート張りボランティア 石巻市 ペンテック

23年5月15日 ペンテック 田中茂

がんばっぺ、石巻!

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今日から又、宮城県石巻市に行きます。

羽島バローホームセンターでブルーシートを90枚買いました。

お金、父親が出してくれました。

「親父、ありがとう」

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今回は、職人の戸井田圭寿を連れて行きます。

たくさんの、若者にいい経験をさせてあげたいので。

出発しようとしたら、女性の方が現れて、レトルトカレー・梅干・肌着・そしてガソリン代にとお金をくれました。

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「ボランティアの人たちと飲んじゃうかも知れないですよ?」と、言うと、

「それも、大切なことなのでいいですよ。笑」と、いってくれました。

たくさんの、元気をいただき、出発です。

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石巻に到着したのは、翌日の朝4:00

12時間30分かかりました。

走行距離798kmです。

ペンテック 田中茂

感謝状ありがとう め組ジャパン

2011年4月13日(水) め組ジャパン 会長ー(ニックネーム)

 

ペンライト君。このライトは、羽島市でボランティア団体「この指とまれ」の代表をしている後藤明さんからいただきました。7日間、夜の闇の中、泥だしの現場で活躍しました。ありがとうございました。

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事務所で、感謝状をいただきました。右はももちゃんです。

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ニックネームの会長は、中央小学校のPTA会長をしているので、そう呼ばれるようになりました。名付け親は、北海道の函館から来た、ニックネーム「校長」がつけてくれました。校長は整体学校の校長をしているから、校長です。

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感謝したいのは、私のほうです。たくさんのことを勉強させていただきました。

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ローラー部隊のケータさん(中央)と、記念撮影です。

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上記軽トラは、愛知県の塗装店さんで、ザキさん。持ってきたマグネットプレートを使ってもらうために渡しました。

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上記軽トラは、トールさんです。まだまだ、残られるとのことで、役立ててもらいます。残りの1枚もめ組で使ってもらうことにしました。マグネットプレートのバトンリレーです。私も少しは、め組に与えることが できたのでしょうか?

帰りの、高速で、ラジオから聞こえてくる情報・サービスエリアから聞こえてくる情報・家に帰ればテレビからの情報・新聞からの情報。情報の洪水です。何が正しくて、何が間違いなのかはわかりませんが、石巻で泥だしさせていただいたお家の方は、みな一生懸命生きていました。この事実を、子供たちに、社会に伝えいきたい。僕の投げる石は小さいかも知れませんが、その波紋は、きっと一回り大きくなると思います。事実を、そして僕が7日間感じたことを これから少しづつでも、伝えていきたいです。

め組ジャパン 泥だし隊 IN石巻市

2011年4月12日(火) 

め組ジャパン 泥だし隊 IN石巻市

AM2:00、バタバタとシートがたなびく音で目が覚めました。朝、5:30強風でテントが飛ばされそうです。各自テントには、所属ボランティアチーム名・氏名の記載が義務です。実際にその日飛ばされたテントがありました。

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朝、8:00の全体ミーテリングです。僕のニックネームは「会長ー!」 PTA会長だからです。

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今日も、石巻市湊地区の泥だし作業です。

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家の庭には、深井戸があり、近所の人がバケツを落とし、ロープでくみ上げていました。ここにも助け合いがありました。

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まずは、家の入り口までの通路の確保のための泥だし作業です。釘の出た木材や、ガラスが散乱しています。新品の長靴は、1日で穴が開いてしまうと、サッチャンとマコトが言いました。

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部屋にごろんと横たわっていたのは、ピアノでした。白い鍵盤、黒い鍵盤が教えてくれました。

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住んでいた、お父さんは(多分65才)元漁師でした。「この酒は、ミチシコでな」「このボウスは、ミチシコで、」と。 てっきりミチシコは、息子さんの名前かと思っていたら、「メキシコ」のことでした。一緒に手伝いに来ていた、娘さんも、「お父さんの言葉時々わからんもん。」(笑)

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泥をすくい、家具をだし、また泥をすくい、家具を出し。

不思議な感覚で、なぜかボランティアをさせていただいているという気持ちになります。

「やらせて、いただき ありがとうございます。」

本当に、そう思うんです。なぜでしょうか?

僕って、変ですかねー。

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娘さんが、休憩のときにパンをくれました。昨日、私が食べたから大丈夫だよ。賞味期限の表示は、4月7日の5日前です。大丈夫とは思いつつ半分いただきました。賞味期限が近い食品は難しいですね。複雑な心境になりました。

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リビングの泥だしが完了。

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ピアノ室の泥だしも完了。お風呂、キッチンも完了。次の部屋も、次の部屋も!と言う気持ちになります。

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お父さんと、記念撮影をさせていただきました。もちろん、おうちの写真、顔写真は気持ちを考えて撮影します。そして、本人の了解を得ました。

「伝える、使命」ができました。

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仙台から、来ていた、100人の日帰りツアーの泥だしボランティアさんたちが大型バスで帰っていきました。ありがとうございます。

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専修大学のグランドのテント村には、たくさんのボランティア団体がキャンプしています。そのひとつ団体のドーム型テントで、語り合い、友情を深めました。

そこで、ボランティアの基本たくさん学びました。

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明日の朝、テントをたたみ、岐阜県羽島市に帰ります。石巻市でたくさんの勉強をさせていただくことができました。ありがとうございます。め組ジャパンありがとう。

がんばろまいか、石巻。

「がんばろまいか」は、羽島市の方言で、頑張ろうよ。って意味です。

ガンバロマイカ、東北。

がんばろまいか、日本!

ガラスが足に・・め組ジャパン 泥出し隊

2011年4月11日(火) 6日目 ペンテック 田中

朝8時からの、め組ジャパン全体ミーティングの時間です。

物資班は、1日20t届く物資を避難所に配達。

リラクゼーションチームは、女川町の避難所にマッサージへ。

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そして、泥出し隊の僕らは、トラックで資材を搬入。

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湊小学校近くの空き地に本部を設置。

観光バスで仙台からやってくる100人の日帰りボランティアを受け入れる体制を作る。5人1組、20班を編成して、各家に割り振ります。あらかじめ、以来のあったお宅の家の方に携帯で連絡するが、避難所にいてこれない方がいたり、段取りが複雑です。また、最終集合に間に合わせるための、時間調整など。

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昼からは、泥出し作業に参加。お店のシャーッターは閉まっていて、中は真っ暗です。タバコのガラスが足に4.jpg

自販機には、バールでこじ開けようとした跡がありました。善と悪が入り乱れた町です。

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シャッターの鍵が無く、表からは中に入れません。裏口から、懐中電気の明かりを頼りに裏口から泥の上を歩きます。時々ガラスを踏むのがわかります。入り口の鍵は、枠がねじれていて開きません。お家のお母さんにガラスを割る許可を得て、ハンマーで砕いて分厚く重たいガラスを「ガシャン。ガシャン」とそのとき。

左足の上に衝撃が走りました。懐中電灯を照らすと、黒い長靴を見ると、一本線が付いていました。平行に落ちたので、足には刺さっていませんでした。鋭角で落ちていたら大惨事になっているところでした。「フー」

東京の大学にいくという高卒したばかりの若い女性がカッパを泥だらけにしてスコップで泥をすくい、目の青い背の高い外国の男性が、山盛り満タンの泥一輪車を押しました。そんな、泥だし初心者は、何をどうすればよいのかわからず、おのずと、僕は、危険な作業、指示役となります。

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泥だし、作業終了撤収今日は、3時です。

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お母さんに、記念写真をお願いし、ブログアップの許可を得ました。

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お母さんは、すごくうれしそうに、「なんか、スターみたい。」

元気を届けにいったつもりが、元気をいただきました。ありがとう、ございました。

 

 

め組ジャパン 泥だし隊 手に力はいりません

2011年4月10日 ペンテック 田中

め組ジャパン泥だし隊 

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朝、寒くて寒くて目が覚めます。凍っています。

5:30に起きて、湯を沸かして。

パックのご飯を温め、お昼ご飯用にも暖めます。

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今日は、石巻市内の一階まで水につかったお家の泥出しに来ました。

め組ジャパンの泥だし隊チームです。

まず、畳をマコトと2人で3枚ほど部屋から運び出しましたが、

足がぬかるんで、泥で手が滑って、65歳のお母さんと一緒に転んでしまいました。

急遽、近くで作業していた、小ちゃん・郡ちゃんを呼んできて4人で20枚ほど畳を外に運びました。彼らは、明治大の学生です。

たたみは、水を吸っていて、めちゃくちゃ重く、20枚も運んでいると手にも腰にも力が入らなくなります。とても、65歳の夫婦では出せません。

下記写真の欄間の壁に線が付いていますが、そこまで水がきました。

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畳の下には、泥が10センチぐらいたまっています。

畳が浮いて泥が下に沈殿したようです。

くさいです。

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家の中の、泥を角コップですくいます。そして一輪車で外に。

「お母さん、無理しないで!」

って、言ったのに、一生懸命一緒に泥をすくっていました。

津波の日は、お父さんが、掛けたはしごで二人で平屋家の屋根に上がると、見る見るうちに水かさが増してきて、1階の屋根ぎりぎりまで来たそうです。

「あっとううまだったねー。」って。

寒い屋根の上で夜を二人で過ごし、次の夜も二人で過ごしました。

水が引かないし、はしごが流されているし、水に濡れれば凍死してしまうし、

「お父さんが、夜、寝るなー。ねるなー。って起こしてくれて。」

「それでね、近所の人が、ボートで来て、乗ってくかー。ホント奇跡」

「この懐中電灯見てごらん。」って、電気をつけて見せてくれました。

「床の間のドロン中でここだよ〜。ってついてたんだ〜。」

どろどろになった、懐中電灯をうれしそうな笑顔で見せてくれました。

「僕は、、中央小学校のPTA会長をしていて、子供たちに伝えてあげたい!から写真を撮らせてもらってもいいですか?」

と、聞くと、

「ええよ、伝えてやってくださいね。」

と、かまぼこのような かわいい目で、言ってくれました。

 

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夜は、め組の炊き出し班が作ってくれた、カレーと、トン汁を食べました。

暖かいものって、うれしいですね。

 

 

泥だし 石巻みなと小学校

2011年4月9日 め組ジャパンで泥だししました

朝5時30分に起きて、カセットコンロでお湯を沸かしてパックのご飯を温めました。お昼のご飯の分も作っておきました。自分のご飯は自分で作るべし!

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午前中は、石巻みなと中学で、泥だしをしました。

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午後から、石巻みなと小学校に移動しました。

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被災者さんが入るためのお風呂を作るために、その土台つくりをしました。土嚢袋をまわりに置いて土を入れる作業をしました。15m×15mの土台を作りました。

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夜、新しい友達とお話しをしました。

だは、また。

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左田中、左2原、左3青山、左4マコト