岐阜 塗装 ペンテック

佐吉物語 永田佐吉さん 作:田中茂(有)ペンテック

 佐吉大仏 2.jpg

音声案内 

佐吉物語       

 永田佐吉さんが佐吉大仏を作るまで。 

    作:田中茂          21年5月14日 完成

 

羽島ロータリークラブの川崎会長様よりご依頼を受け、佐吉物語を書きました。

その後、朗読:劇団はぐるまの糸永しのぶさん。佐吉の声:田中茂。による音声案内となりました。

近日中に羽島市歴史資料館にて音声案内として聞けます。

                (音声案内の製作:羽島ロータリークラブ)

   佐吉大仏 1.jpg

「佐吉物語」    

「佐吉、今日からこの人がおめーの新しい母ちゃんやでな。」

佐吉は今から300年ほど前の江戸時代。美濃の国 竹ヶ鼻に生まれました。

本名は永田佐吉といいます。

佐吉は子供の頃に、母を病気で亡くしました。9才の時 ママハハが来ると、今度はお父さんが病気で死にました。まだ会って間もないのに、佐吉が熱病にかかると、そのママハハは3日3晩、夜通しの看病をしました。

そして、4日目の朝、熱は川の水が引くようにスーっと引きました。

佐吉が眼をあけると3日間ずっとそばに居たママハハは、別院の方を向いて祈っていました。

「仏様、私の命と引き換えでもかまいません、どーぞどうぞ、この子を助けてやってくだされ!」「お母さん・・・お母さん・・・」  

「え?・・・い、今、お母さんと言ったのは おまえか!?」

母は声を殺して泣きだしました。佐吉はこの時始めてママハハの事を「お母さん」と、呼ぶことができたのです。

 

 父が死んでから家は日に日に貧しくなりました。

佐吉が11才になった時、とうとう名古屋の紙問屋へ働きに行くことになりました。

小僧の仕事は掃除、洗濯、風呂の水汲み。佐吉は朝早くから一生懸命働きました。その上、暇さえあれば砂の上で字を書く練習をし、夜一人になると本を読んで勉強しました。そして、盆と正月に里帰りすると、母はいつも嬉しそうに佐吉の話を聞いてくれました。「佐吉、この前帰ってきた時より、ぐんと背が伸びたな〜。」

かしこくて、真面目に働く佐吉の事を、店の主人はすごく可愛がってくれました。

しかし、意地の悪い番頭に妬まれ、3年あまりでその店を追い出されてしまいました。

 

 家に帰った佐吉は、16才になった時、綿(わた)屋を始めました。

はかりを買うお金が無かったので、お客さん任せで綿の売り買いをしました。

客が綿を持ち込み、

「これだけで3貫目の重さがある。」と、言えば それを疑わず、その分のお金を支払いました。

すると、商人達は佐吉のやり方を見て、 

「はかりも使わずに、商売をする間抜け者。」   

と、バカにしました。

もちろん、最初のうちは損をしていましたが、しばらくたつと「正直もんの佐吉っあん」と評判になり、お客さんは綿を少なく取って、お金を多く置いていくようになりました。店が儲かるようになると母は、自分で作った丸餅を竹鼻別院とお仏壇にお供えして仏様に感謝しました。

 綿の仲買を始めて2年が過ぎる頃、佐吉は長良川、揖斐川を越え、琵琶湖周辺の近江(おうみ)地方まで商売を広げていきました。

その日も佐吉は、美濃路を通って綿を積んだ荷車を押していました。

すると土手に人が集まり巾2メートルほどの川を恨めしそうに眺めていました。

橋が流されてしまったのです。

大水が来るたび土の橋は簡単に壊れてしまうので、村人はホトホト困っていました。

佐吉は儲けた金を使い、村のために丈夫な石の橋をかけてあげました。

大垣・近江の人達は何と欲のない人だろうと感心し、

「仏の佐吉・仏の佐吉」と呼ばれるようになりました。

 

 年の瀬の迫る12月、

「あーこれで、やっと年が越せる。」

佐吉は大垣のお客さんから綿の代金を集金して家に帰る途中でした。

突然やぶの中から男があらわれ、佐吉の首元に刀を突きつけました。

「有り金全部と今着ている着物を脱いでよこせ!」

佐吉は集金してきた金をすべてその男にやり、着ていた着物を脱ぐと石の上に置きました。

「不足があるなら、明日 竹ヶ鼻の店にとりに来(き)んさい。」

裸で帰ってきた佐吉を見て母は、お金のことは何も言わず、

「そんで、ケガは?怪我はせなんだか?」

「大丈夫や お母さん。心配かけてごめんな〜。もうちょっとで、仏の佐吉が、ほんとのホトケになるところやったわ〜」(笑)

「ま、こんな時に冗談言って。だから、いつまで経ってもホットケんのや。」

「ハハハ。」(笑)

 

 商売を始めてから20年、店は益々繁盛しました。

「おい聞いたか?佐吉の店が繁盛するのは、別院と仏壇にお供えしとる お餅のおかげやと」。

うわさが、噂を呼び、わしんとこにも、わしんとこにもと、佐吉の母が作った餅を欲しがりました。

「ええよ、私が作った餅でよけりゃ、」

みんなに頼まれて、母は、喜んで丸餅を作り、店の軒先で売るようになりました。

皆は「佐吉餅。佐吉餅」と、ありがたがって買い求め、お金を余分に置いていく人まで居たということです。

 佐吉が43才、店を始めて27年が経ちました。

綿の詰め替えをしていると、母は庭に下りて行き、タンポポの黄色い花びらを撫ぜました。

「佐吉や、あれもこれも、みーんな仏様のおかげやね。私も、もうすぐ66才や。命があるうちに日本全国のお寺を回らせて貰えんやろか・・・」

しかし、病弱な母が旅に出れば途中で死んでしまうかも知れません。

佐吉は、母に代わって旅に出ました。

四国・中国地方を巡って5年の月日が過ぎ、佐吉は東北の小さな村で破傷風という病気にかかりました。

起きあがることさえ出来なくなると浮んでくるのは母のこと。

佐吉は夢中で仏様にすがりました

「死ぬ前に・・・せめて竹ヶ鼻にいるお母さんの顔が見てー」

祈りが通じたのか病気はだんだん良くなり、家に帰ることができました。

母は小さな体で佐吉にしがみついて背中を撫ぜさすりました。

「仏様、大切な佐吉を返してくだされて・・・ありがとうございます、ありがとうございます・・・」(泣きながら)

「佐吉、仏様のおかげや、お礼をせな。おっきな仏さまを作っとくれ。おっきな仏様を。」

「わかった、おっきな仏様をつくろう」

 佐吉は、すぐに江戸神田にある、大仏を作る仏師の所に向かいました。 

仏師は佐吉のみすぼらしい着物を見て最初は相手にしませんでした。

 しかし、持参した手付金800両。

今の金で約8000万円。を差し出すと、主人はビックリして大仏造りを引き受けました。

 その時、佐吉は50才になっていました。

それから6年の月日が過ぎ、青銅の大仏は、江戸で完成しました。

その時は手足など、22個の部品に分かれていて、重さは426貫目。

今の重さで1600kgもありました。

江戸から美濃までは、海を通って船で運ばれました。

ところが、遠州灘で起きた突然の嵐に、船は木の葉のように揉まれました。

「おい!この嵐じゃ船がもたねーぞ!おい、どーする!」

「どーするも、こーするもあるけー。オラまだ死にたくねー。」

乗組員は、船を軽くする為に積荷の大仏の頭や手・足など次から次へと海に投げ捨ててしまいました。

船主はその事を佐吉に謝りました。すると、佐吉は笑みを浮かべ、

「それは、良い事をして頂きました。静岡 遠州灘の沖合いは、船の難所。良く船が沈む所とお聞きしております。これからは、海に沈まれた大仏様が船を守ってくれる事でしょう。」

怒られると思っていた船主は、口をあんぐりと空け、顎をカクカクさせながら佐吉の顔を見つめました。

その後、船主達は、遠州灘で嵐にあうと、「海に沈んだ大仏」がいる沖の方に逃げ込みました。

どんなに波が高くてもその場所だけは、船が転覆しませんでした。

 

 やがて佐吉は、かなりの借金をして竹ヶ鼻にもう一つ大仏を作り、沈んだ大仏様の供養をしました。

「大仏様。どうか雨を恵んでくんせー。」

「大仏様、米がぎょうさん取れましたー。」

「大仏様、おっ母ーの病気を治いたってまえんかー。」

出来上がった大仏を拝みに、多くの村人が訪れました。

いつしか、村人はこの大仏を「佐吉大仏。佐吉大仏」と、親しみを込めて呼ぶようになりました。

それから何年も年が過ぎ、母はこの世を去りました。

毎朝、母と大仏に手を合わせるのが日課だった佐吉は、お参りをするたび、腰の曲がった母の背中を思い浮かべるのでした。

そして子供の頃を思い出しました。

「佐吉は、すごいねー。ほんとにすごいねー。」

佐吉は自分を育ててくれた母のそばでずっと暮らし、89才でこの世を去りました。 

 (おわり )

              佐吉物語 最後まで読んでくれてありがとうございます。茂

 

羽島ロータリークラブ 感謝状.jpg

羽島ロータリークラブさんから感謝状をいただきました。

感謝したいのは、私の方です。

ペンキ屋の私に、機会を与えてくれた川崎会長に感謝です。

ありがとうございました。

 

岐阜県 羽島市 の 塗装・防水専門店

  有限会社ペン・テック 

TEL058-391−5547   田中茂

営業品目:住宅 塗替え 建築塗装 防水工事  塗装工事 外壁塗装 

        屋根塗装 雨漏り補修 

営業エリア:岐阜県 羽島市 岐阜市 本巣郡 安八郡 大垣市 

       南濃町 養老郡  愛知県 一宮市・葉栗郡など

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佐吉物語と岐阜県羽島市歴史資料館 塗装(有)ペンテック 田中茂

佐吉の声に:田中茂サプライズで登場 

佐吉物語が岐阜県羽島市歴史資料館に音声案内で聞けます。 

                     塗装(有)ペンテック 田中茂

 佐吉さんは、不思議な人です。

とても、愛に満ちています。

素直で、

真っ直ぐで、

お母さんの存在も忘れてはいけません。

お母さんもきっと、素直で真っ直ぐなんでしょうね。

出来る事なら、佐吉さんと、お母さんに会ってみたいです。

 それが、出来ればどんなに楽に、佐吉さんを描けた事でしょう。

でも、自分の中では、理想の佐吉像を描く事が出来ました。

音声は、劇団はぐるまの女優 糸永しのぶさんに朗読をしていた

だきました。

佐吉の声:なんと田中茂が登場するというサプライズもあります。

時間の許す方は、 

岐阜県羽島市の歴史民族資料館に聞きに言ってください。

 

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